外人さんには決して日本人だと見えないらしい讃岐生まれの確かに皆から変わってるとは言われる純日本人のつれあいと、15年間家族でいてくれたボストンテリアのさんちゃんはいなくなってしまったけど、まだまだやんちゃな4歳のスコティッシュのななと、埼玉県さいたま市で暮らしてるジブンです。

newfamily

電車内とコーヒーブレイク中のマックで書き留めたメモがブログの下書きになり、毎朝出掛ける前の頭のトレーニング代わりにブログ記事にしています。忙しいときは休日にまとめて記事にすることもあります。役に立つコトを思って書く記事はほとんどありません。ジブンのための備忘録か縁者に向けての我が家の遠距離報告代わりに使われることの方が多いです。

そんな漠然とときにしつこいとっちらかった話ですが、ときどきは役に立つお話しも書きたいなと思っています。暇なお時間にでも覗いてやってくださいませ。

10代成り立てだった頃の自分は、家の前を走り去っていくKAWASAKI MACHIII の吐き出す白煙を眺めては、遙かまで疾走していくのを憧憬の眼差しでずっと眺めていました。

16才の誕生日の1ヶ月後に原動機付自転車免許を取得しHONDA CY50「ノーティーDAX」に乗り始めて以来いろいろ変われど40年以上自分の傍らにはいつもバイクがあります。

CB750K2、RZ350D、CB250RS改500などロード スポーツ車も一時期所有したことがありますが、やはり山に分け入ったりする性癖には相性が悪く、オフロードバイク(KS125TR>KL250A3>XR250RJ>XL500S)で出かける事の方がずっと多かったように思います。なにより荒ぶる気持ちを河川敷や人里離れた山奥の林道で爆発させる分には文句も出なかった時代でしたから。

ウチの親父は生涯を洋服の仕立屋さんで生きた人で、晩年ははるばる東京から九州・博多まで「ここだったら仕立てていただけると聞いて…」と服地を持ち込むお客さんがいたり、婦人服ながら「継ぎ目ナシの全円フレアスカート」という無理難題なオーダーもこなす、そこそこ腕の立つ職人さんでした。しかし70年代以降の大量消費時代に職人の仕事は急速に細って、その技術を息子に継がすなどと言うことは全く考えていなかったようです。

その息子が継いだのは、家の増改築までこなしてしまう親父の器用さと、いつもトイレに地図を持ち込んでルートを頭に刻んでは、遥か遠方まで家族ドライブに出掛けても不思議と迷うことなく目的地を行き来してしまうという記憶力だったように想います。気の向くままに郷里を飛び出したジブンですが、そんな息子は果たしてどんなことになったのでしょう。

社会人をエンジニアから始めたジブン。
新入社員にいきなりの出向命令で難儀なサラリーマン生活が始まりました。しかしながらこの事が後々に大きな影響を及ぼす沢山の教訓をもたらしてくれたと今でも思っています。

製品開発エンジニアと商品企画、ときどきにわかプログラマーと面白おかしく仕事を任せていただいた、今は無き会社に感謝であります。

不似合いなマルチメディア企画営業職を経て「やっぱりジブンがやりたいことをやろう!」とWEBディレクター兼プロデューサーとして始めた世界初のASPサービス…だったのですが「始めるのも終わるのも早すぎた」と後日語られる企みでありました。

ネット配信に向かう狭間の一時期、PtoPの音楽コンテンツ流通ビジネスモデルとして企画したモノ、アーティストとユーザー双方にとって、いまでもあるべきカタチだと思うんでがねぇ…


趣味と仕事の狭間に一時期こんなモンも作っていました。

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